幼少、茂原市で生まれる
幼稚園の課外教室としてヤマハ音楽教室のグループレッスンの募集があり、私はやりたくなかったが両親の意向で始めることに。
渋々通ってたはずだが、先生は優しかった。
バス遠足では現地では楽しく過ごすが、車酔いするタイプだったので帰りのバスで到着した途端タラップに派手にリバースし、楽しい思い出のはずが最後で微妙に。
家にあった年代ものの足踏みミシンをカタカタと踏み鳴らすのが大好きで、誤って自分の指に針が貫通!なんていうマヌケなことも。
好きだったものは幼稚園で売っていた昼食に食べるチョコパン。
これが食べたくてお弁当じゃない日を多く作っていた気がする。
かぎ針編みが得意だった母のお手製の服をよく着ていた。
小学生〜グループレッスン
幼稚園で通っていたヤマハのグループレッスンは、場所をヤマハ音楽教室に移しそのまま継続。
先生も同じ(後でわかるが声楽専攻の先生だった)。
が、何がイヤなのか一人一台ずつ割り振られていたエレクトーンに突っ伏していてやる気ある?的な態度をとり、後ろから母にどつかれる。
みんなでちーちーぱっぱをやるのがイヤだったのかも。
とにかく早く終われ〜と願い、さよならの歌が終わったら速攻でシールを貰い、とっとと帰った記憶しかない。
そんな感じでも2年通い、小3の時に同じ先生で個人ピアノレッスンに移る。
ピアノが好きに
そうしたら!!すごく楽しい!♫!♫!
一人で自由にピアノを弾けるのがこんなに楽しいなんて!
楽しくて面白くてがんがん練習をする。
暇さえあればピアノを弾いていた。
初めてピアノが楽しいと思った瞬間だった(^^)
なので進度は早く、1年でバイエル(ピアノ初心者が習う教則本の中の一冊)を終わらせ、初めての発表会はブルグミュラー(バイエルの次の教則本)の『スティリアの女』を弾く。
正直ハノン(基礎練習の教本)は嫌いでサボりがち。
練習曲はまあまあ。
だけど曲集は大好きで課題ではない曲まで遊びで弾いていた。
ソナチネ(ブルグミュラーの次の教則本)を貰った時は、曲がたくさん入っていてワクワク!
初見でほとんどの曲を弾いて遊んでいたので、課題として曲を練習する頃には既に飽きていた笑
この頃にいろんな曲を初見で遊び弾きしていたせいか、初見が得意になる。
5、6年生のころには発表会でトリになっていた。
音大へのレール
6年の時、母がピアノの先生に呼ばれ「音大に行かせた方がいい。先生を紹介するのでそちらにも通われては?」といった話をされたそう。
母の脳内はもう音大進学でいっぱいになり(小6で!?はやっ)、「月1回、東京のピアノの先生のところにも通ってみる?」と聞かれ、
『え〜東京??なんか楽しいところに行けるかも。なんか美味しいものとか食べられるかも』と単純に都内という場所にワクワクし嬉しくなって「行く!」と答える。
都内の先生は女性で地元の先生よりは年上で、特に厳しくもなく、萎縮してしまうことはなかった。
が、初回のレッスンでハノンを1回弾いただけで指のクセを指摘される。
他の曲を披露するどころか指の矯正レッスンとなり、ひたすら指を1本ずつゆっくり上げ下げする練習だけするように言われ、曲を弾いてはだめ!と言われる。
ええーーーっ!!超つまんない!!!
テンションだだ下がり‥
その頃は親から毎日2時間練習を課されていて‥
が、長女で親の言うことは聞く子ちゃんだったので、死ぬほどつまんない練習を泣きながらやったんだと思う。たぶん。
おまけに期待していた美味しいものや楽しいことは、私も母も乗り物酔いが酷くて(電車でも酔っていた!)何も食べられなかったことがほとんど。
あーあ。なんか思っていたのと違う‥
が、その先生にM音大を勧められた母のその頃から始まった口癖が『M音大に行きなさい』。
何それ美味しいの?状態でいいんだか嫌なのかもわからず、ほえ〜としている間に敷かれました。
M音大に行くというレールがガッツリと。
マンガ大好き
小3くらいからマンガ好きになり、下校途中にある本屋で毎日マンガを立ち読みして、本屋のおばあちゃんに嫌な顔をされる。
イラストを描くのも好きだった。
読書も好きで学校の図書室で借りた『名探偵シャーロックホームズ』シリーズを読破する。
そのせいか視力が急激に0.3まで低下、親に視力回復センターとかいう謎なところに定期的に通わされる。
痛くも痒くもないんだけど大嫌いでよく騙されて連れて行かれた。
もちろん号泣。
奇跡的に一瞬1.2まで回復するがすぐに0.1まで急降下して以来、通うのをやめる。ほっ。
中学生になったと同時にコンタクトをする。
自然児
完全にインドアかと思いきや小学生の時は外遊びも好きで、特に木登りが大好き。
高い木から落ちてお腹を強打、しばらく声も出なかったことも。
自然が豊かで遊ぶ場所はいっぱいあり、茂みの中に隠れ基地を作ったり、斜面で泥団子の転がし競争をしたり、飼っていた狩猟犬と遊んだり。
完全に犬派。
今でも特にシベリアンハスキーとゴールデンレトリーバーが大好きでお気にいりのYouTuber犬を観るのが日課で癒し。
6年の時に体育の授業でバスケをした時に突き指、その年の発表会には間に合うもののその後親にボール系は禁止された。
発表会で着るワンピを買う時は母子バトルが勃発。
ブリブリフリル好きの母とシンプルイズベストの私で趣味が合う訳がない。
が、着るのは私!と譲れなかった私が常に勝利!よし。
中学生〜アニオタ?
変わらず地元と東京の二人の先生に師事する生活が続く。
練習は2時間くらい渋々やっていたが、やらされてた感が否めない。
校内の合唱コンクールでは当たり前のように伴奏を担当。
マンガは変わらず大好きで中学ではアニメも加わる。
マンガ&アニメ同好会的なものを作り、雑誌でメンバーを募集して全国から集まったメンバーのイラストやマンガを冊子にして定期的に発行していた。
学校でもマンガ好きの友達と一緒に、共作マンガを描いたりしていた。
市の緑化ポスターコンクールでは賞をいただいたことも。
地元のピアノの先生の発表会では、先生に頼んでソロとは別に好きなアニメ曲の友達との連弾を弾かせてもらったりしていた。
練習ストライキ
学校のアニメ友達が声優さんのコンサートチケットの抽選に当たり誘われる。
当然行きたい!が‥なんという事でしょう。
コンサートの次の日が都内のピアノの先生が主催する発表会だった!
一生懸命練習するから行かせて!!じゃないと発表会も出ない!!と親に懇願するもダメだった‥
ガーーーン!!親に反抗したくてもしきれなかった私は謎の行動をする。
練習をサボりまくったのだった。
発表会で親が恥ずかしいと思うような演奏をしてやる!とでも思ったのか?
発表会当日。
曲は確かショパンの華麗なる大円舞曲。
始めの黒鍵音から外し、そんな経験がなかった私は頭が真っ白に。
もともと練習不足な上にパニクった演奏はそれはもうボロボロ。
終わった途端トイレに駆け込んで大号泣。
思った以上に酷い出来にすごくショックだった。
集合写真があるからと呼びに来た母が放った一言は未だに覚えている。
「いつまで泣いてるの!練習しなかった自分が悪いんでしょ!!」
‥‥いや、そうなんですけどね‥
コンサート、行きたかったなあ。
このエピソードが強烈で恨めしすぎて、自分の息子が高校受験直前にコンサートに行きたいと言った時は秒で「いいよ」と即答していた。
高校生〜受難の日々
受験勉強はサクッとやった感じ。
M音大へGO!レールが敷かれていたので、頑張らなくても入れる高校をチョイスしたため。
高校進学と同時に音大受験に必要なソルフェージュ(音楽理論や音を聴き取ったり歌ったりするもの)の教室にぶち込まれる。
そこは、専門学校系のソルフェージュ教室で、SクラスからEクラスまであり、1クラス20人〜30人はいたかも?
当時の高校は月曜日から土曜日まで授業があり休みは日曜日だけ。
その貴重な休みの日曜日に、毎週都内にあるソルフェージュ教室に通うことに。
休みなし?
文句をいう間もなく、いや文句を言っても申し込み完了。
このあたりで、今まで何となくふわっと乗っかってきたレールから降りずらくなってきたことに、あれ?これでホントにいいのかな?とモヤモヤした気持ちを抱えることに。
が、親のいう事は反抗しきれずいう事聞く子ちゃんだった私は、結局行く。
ソルフェージュはやったことがなかったので、クラス分けテストは全然できず当然一番下のクラス。
歌の先生が怖くていやだったけど、M音大志望のAちゃんと仲良くなりソルフェージュ教室の帰りに一緒に銀座のサーティーワンでチョコミントアイスを食べるのが楽しみだった。
月1回テストがありクラスが変わるが、大体Aちゃんと一緒。
半年に1回実技テスト(ピアノ)や発表会もあって、そこで周りの子のピアノの巧さに驚愕する。
人生で一番のびっくり
音大受験に必要なショパンのエチュードは、高校に入るまでやった事のない私に比べ、周りは中学のころから当たり前のように弾いていてめちゃくちゃ上手!!
もちろんAちゃんも。井の中の蛙とは私のこと?
上手い人だらけの中で弾いたベートーヴェンのソナタは、緊張と恥ずかしさでいっぱいのしょぼい演奏だった。
このあたりから自分のピアノ演奏なんて全然だめだ‥と劣等感でいっぱいになる。
高校に入った時にまた先生が変わり、今度は男の先生に。
すごく優しい先生で、練習不足でも進度が悪くてもキツいことを言われたこともなければ怒られたこともなかった。
練習しなきゃ。でも何で?音大に行かなきゃいけないから?ホントに行きたいの?
劣等感はあるのに練習にも身が入らず、ものすごく中途半端な状態。
こんな状態で上達する訳がない。
なんていうかいつも心に黒いモヤっとしたものが引っかかってて、でもどうしたらいいか分からなくて鬱憤が溜まっているというか鬱々しているというか常に足掻いていた。
どんどん敷かれたレールは太くなり、降りられなくなってがんじがらめに。
なので、その頃の私は怖かったと思う。
鬱屈した思いを時々周りにぶつけていた。(ごめんね周りの人)
その状態のまま3年に。
その頃にはソルフェージュは常に全部の科目でSクラスをキープするようになっていた。
鬱々しながらM音大の夏期講習に4泊5日くらいでいき、案の定ピアノレッスンでは先生に渋い顔をされる。
とうとうブチギレてしまった。
もうやだ!音大なんて行きたくない!!普通に勉強して文学部に行く!!!
母がものすごく取り乱していたのは覚えてる。
反面、父は「好きにさせろ」と。
怒られると思っていたので拍子抜けするが、心が晴れ晴れとしピアノを全く触らなくなり勉強をやりだす。
どのくらい勉強してたか‥それまでろくに真面目に勉強したことがなかった私が考えたこと。
勉強ってすごく大変‥これならピアノの練習の方がずっとましだわ。
で、音大で〜と自らレールに乗る決心をする。
理由はともあれここからはガチで練習しだす。
受験まで半年なかったけど。
今思えばピアノに戻ってくることを見越して何も言わなかった父はスゴイと思う。
そういえば3年の夏期講習の準備で荷物をまとめていた時に不安と嫌さで些細なことで泣いていたら、黙って代わりにやってくれたっけ。
すごく怖い父だったけど気持ちを組んでくれて、すっと泣き止んだのを覚えている。
自分で人生を切り開く決意
今まで親のレールに乗っかってきたが、やっと音楽の道に進もうと腹がきまった。
毎日6〜8時間は弾いていたと思う。
この時のガチ練習で試行錯誤して身についた練習法が、今のピアノ指導に役立っているかな?と感じる。
ソルフェージュ教室の実技テストでも点数が上がり、受験直前には太鼓判も押してもらえるようになった。
高校時代はソルフェージュ教室の方がメインで高校の方がおまけ的な位置付けで。
文化祭で友達とバンド演奏したのが楽しかったな!
演奏したい曲のバンドスコアがなかったため、私が見よう見まねで耳コピして作成したけど、大変だった覚えはなく遊びで音楽を楽しむのが心地よかったんだと思う。
緊張の本番
そしていよいよ受験。
もともと本番には強い方ではなく、実技テストの前日は情緒が不安定で泣いていて、本番はもう死ぬほどド緊張。
(今はへらへら笑いながら舞台に出ていく笑)
バッハとベートーヴェンはそこそこ弾けた気がするがショパンが‥
ルーティンを忘れて弾き始めてしまい、まあ音を外す外す。
あんまり覚えてないけど、これはマズイということは薄々わかった。
発表は、よせばいいのにAちゃん母娘と私&母で見にいく。
Aちゃん→安定のピアノ科合格
私→ピアノ科どころか併願していた教育科にも不合格
どうやって帰ったか覚えてない。ただただ虚。
人生初の大きな挫折
もう一度きつい受験期を乗り越える気力が全くなかったため浪人はやめて、滑り止めで受けていたS音楽短大に進学することにする。
結構落ち込んだが、ソルフェージュ教室の先生の「まだ18歳だよ」の言葉でそうだよねと前向きな気持ちになれた。
ソルフェージュ教室の打ち上げが新宿であり、Aちゃんと一緒に参加することに。
Aちゃん家へのお泊まりも楽しみだった。
が、大惨事が‥‥
空きっ腹にガンガンやけ食い。
そして気づいたら、トイレに・・・
Aちゃんも同じ状態になっていて、彼女の「何で落ちたの?!一緒に通いたかったのに!!」という言葉を聞きながら二人で大泣き。
泣くわ、吐くわ、汚いわでもうスゴイ状況です。
そのお店、絶対出禁になってる。ていうか恥ずかしくて二度と行けないけど。
タクシーを二人で何度も止め、何度も道端に‥。
そんな二人を送ってくれたソルフェージュの先生、お店の方、Aちゃん家の方々、ごめんなさい。
Aちゃんとは、今でも時々LINEでやり取りをする仲。
Aちゃんはヤマハの重鎮になっている。
大学生〜寮生活
実家からでて短大隣にある寮に入る。
いろんな地方からいろんな人が来ていて、個性のオンパレードを新鮮に感じる。
私が受験した2次試験で入ってきた人はM音大、T音大、K音大落ちの人がほとんど。
そこでフルート専攻でM音大に落ちて浪人し2回めも落ちたため、とりあえずS音楽短大にきて卒業した後にM音大に編入する!というすごい根性のKちゃんに出会う。
それに感化され、私も!と頑張ることに。
1年生の時はピアノをピアニストのロナルド・カヴァイエ先生に師事。
先生のアドバイスは一言一句聞き漏らさないように熱心に学ぶ。
ピアノ(弱く弾くこと)の奥深さを徹底して教わった。
成績も良く、Kちゃんのフルートの伴奏をしたり、友達と初見で連弾をしたり、2台ピアノの授業でラフマニノフを弾いたのがすごく楽しかった。
未だに一緒に演奏する方が好き。
寮の友達の部屋に夜な夜な集まり、お菓子を食べまくっていたらいつの間にか体重がやばいことに。プラス5キロ。
食べないダイエットをしてしまい、痩せたは痩せたが後で大変なことになる。
ベストよりマイナス3キロ。
モチベーションダウン
2年生になって徐々にやる気を失っていく。
ずっとM音大を諦めずに目指し続けるKちゃんを尻目に、私はM音大に行ってどうするんだろう?なんかピアノばっかりやっててこれでいいのかな?
と考えるようになり、編入する意欲は完全に失せると同時に全てにおいて適当になっていく。
授業をサボる。練習はテスト前にちょろっと。
ピアノの先生は変わり、ジャズも弾くピアニストの霧生トシ子先生に師事。
黒革のミニタイトスカートに網タイツというファッションも演奏も強烈な先生だった。
パワフルな演奏を求められて、方向性は好きだったな。
この頃は適当に弾いてたのでよく怒られた。
腰にシャツを巻いてて「そんな格好でレッスンに来るな!帰れ!」と言われたり「あなたは
オオワクさんじゃなくてメイワクさんね!」とも。
練習しないくせに卒業演奏でショパンのソナタが弾きたいと言って「練習しないくせにバカじゃないの?シューマンを弾きなさい!」と一蹴される。
真面目に練習しようと思ったんだけどな‥結局あまり練習せず。
ちなみにKちゃんは見事M音大の編入試験に合格!
彼女は本当にスゴイ!今はヤマハと自宅でフルートを教えている。
S音楽短大を卒業後、系列校のピアノディプロマコースに進学。
とにかくよく遊んだ。
夜遊びばかりして昼夜逆転し、縛りのない生活を満喫してたのも束の間。
引きこもり&アルバイト時代
無理なダイエットのリバウンドがきて食欲がすごいことに。
どんどん太り、遊びにも学校にも行かなくなる。
人生最大のヤミ期に突入。
2年生になる頃には学校を辞め、ベストより10キロ以上太って引きこもりに。
抑えられない食欲と痩せられず鬱々とした毎日。
これじゃいかんと喫茶店でアルバイトをしたりしたが、体が重くてうまく動けなかった。
そしてゲームをしたり、ひたすらマンガやイラストを描いていた。
2〜3作を出版社のマンガ賞に応募して、ちょっとした賞に入り賞金をもらったことも。
そんな時、妹がデザインの専門学校に通うため都内で一緒に住むことに。
2DKに引っ越し、異常な食欲はおさまってたが相変わらずおデブちゃんのままでやりたい事もなく、適当におもちゃ屋でアルバイトをしたり妹のデザインの課題を手伝ったり。
この頃に妹に「人生で一番ピカピカ輝いている20代前半に何やってんの?もったいない」と言われたのを覚えている。
そして冷や汗がでて気持ち悪くなるほど激しくお腹を壊して以来、自然に痩せていった。
ほぼベストな体重に。
気持ちも前向きになり、とにかくちゃんと働こう!と就活を始める。
あたらしい世界
ピアノ関係はイヤだったのでイベント系や空間プロデュース系に何社か面接に行き、始めに受かったシステムソフトの開発会社に就職する。
毎日プログラムと格闘してはテストを行うという業務。
この時にひたすら原因追求→修正をしていたせいか、オンラインレッスンで多発したアクシデントも慌てることなく何となく乗り切れたのかな?と思う。
ピアノの世界とは全然違うプログラミングの世界は新鮮で、会社員の生活は人間関係にも恵まれそれなりに面白く充実していた。
お金も時間もそこそこ余裕があり、仕事もプライベートも自由に楽しんでいた時期。
ジェットコースター人生
3年勤めて結婚すると同時に会社が倒産。
再就活する間もなく妊娠してそのまま専業主婦に。
とにかく出たがりの赤ちゃんで、切迫早産になり安静を余儀なくされる。
安定期に入ってホッとしたのも束の間、今度は切迫早産に。
入院して事なきを得るが絶対安静のため実家に戻る。
毎日ゴロゴロしすぎて床ずれが出来たほど。
実家は早寝早起きのキチンとさんの生活で、気ままに生活していた私にはちょっとキツい監獄ライフだった。
出たがりなだけあって出産は超安産。
ちょっと小さめの赤ちゃんだったけど、売るほど出た母乳をガツガツ飲みどんどこ育つ。
生まれて3ヶ月くらいで都内の家に戻るが、1歳になる頃には色々あって別居となり、あっという間に実家に舞い戻る。
別居に至るまでガタガタと揉め、産後ぷくぷくしていた体がストレスで元に戻る。
結婚から別居までわずか2年。
正式に離婚したのは息子が年長の時。
息子は父親の顔すらわからない状態でずっと実家で育つ。
が、社会人になる時には父親に会い、今は仲良しに。
子育て・リトミック&ピアノ講師
じっとしていない。
天真爛漫で愛想がよくてひょうきんで反面繊細な部分ももつ息子。
子供を産むまで子供が苦手だったけど、自分の子は手間はかかれど
無条件で可愛い!
と同時に、どんな子供でもウエルカムになったのには自分で自分にびっくり。
この心境の変化がなかったら、今の私は無かった。
息子が2歳になり、近くの音楽学院からリトミックの体験募集案内がきてリトミックを全く知らなかった私は興味をもつ。
遊んでるだけに見えて知らないうちに身体の中に音楽を取り込んでいるリトミックに感心して2歳児コースに通わせることに。
自分にできるのはピアノだけだったので、とりあえずその音楽学院でピアノ講師を‥と考えたが、子供が小さいうちは主に午前中できるリトミックがお勧め!と先輩講師の方に助言を受け、リトミック講師になるためにリトミック指導資格を取る。
この時にリトミック指導を教わったカリスマ性バリバリのY先生は実際どんなレッスンをしているのか?
見学をしたかった私は、息子のリトミック教室を3歳児コースからY先生のリトミック教室にチェンジする。
電車に40分乗って通ったが、大変と思ったことは一度もなく、その後Y先生には親子共々ずっとお世話になることになる。
毎週リトミックを実際に見学し、時々サブとして参加、発表会のお手伝いもさせていただき、自身のリトミック指導にどれだけ役に立ったかわからないほど勉強させていただいた。
息子はリトミックを好きだったかというとそうでもなく、自分の気に入らないものはやらない。定位置は椅子の下か部屋のすみっこ。そんな状態でもなんと最終コースの小6までリトミックを続けた。
おかげで身体にリズムが叩き込まれていて、ピアノや電子オルガン演奏に思いっきり活きている。
ピアノ教室スタート
息子が保育園に入った頃、高校の時の同級生に娘にピアノを教えて!と頼まれ、始めたのが自宅でのピアノ教室だった。
ピアノで仕事するのが嫌すぎた20代前半がウソのように、リトミックをきっかけにいつの間にかピアノを教えることに抵抗がなくなり、出産をきっかけに子供も好きになり、それが当たり前のようにピアノも教え出す。
ピアノを弾くのも教えるのも楽しい!!
勉強欲もむくむくと湧き起こり、音大時代の友達とデュオを組んで2台ピアノを主に教える
先生に師事することになり、意欲的に練習して月1でレッスンに通い出す。
現在は、年に2〜3回舞台にあがっている。
結局、紆余曲折を経て自分が一番長く続けてきたことを生業にすることに。
音楽学院でのリトミック指導と自宅でのピアノ指導の生活。
両方とも順調だったが、徐々に音楽学院でのリトミック指導が減っていき、市内にある二つの保育園に月1でリトミック指導に行く事になる。
大勢の園児ちゃんと広い場所でピンマイクをつけてするリトミックは面白く、10年以上続いた。
最近は別のこども園の支援センターにわらべうた指導に行くことに。
自宅の生徒さんの発表会も単独で開けるようになっていく。
子育ては闘い?
雨上がりに、道途中にある階段の手すりについている雫をベロベロ舐める。
電車の窓を舐める。
駅のホームやデパートでゴロゴロ転がる。
おまけに寝ない。
保育園のお昼寝タイムが死ぬほど嫌い。
いろんな所で迷子になる。
態度が悪くて病院の先生に親共々怒られる。
遠足で池に落ちる。
そんな落ち着きのないパワフル息子との毎日は戦いだった。
私一人で育てていたら、思いつめて新聞に名前が載るくらいのことをしでかしていたとマジで思う。
幸いなことに両親がいたので、うまくバランスが取れて試行錯誤しながらみんなで息子を育てていく。
が、失敗もたくさん!
息子に関わりすぎたり、感情的になっちゃったり、理不尽なことをしちゃったり。
その時は夢中だったけど、後になって振り返ってみると自身の度量の狭さに今更ながら
後悔したりして。
年長の時に、お友達が出るから自分も!とピアノ発表会に初参加。
習わせるつもりはなかったので、音符も読ませず私が弾いたのを真似っこさせてやっつけで一曲仕上げた。
それがきっかけとなり、Y先生に誘われるままピアノを始める。
そのまま誘われ続けて発表会やらコンクールに出ていたら、気づけば小5の時には年間20回ほど舞台に上がっていた息子。
ピアノや電子オルガンのコンクール(ローランド)で何度か全国大会に出場したことも。
レッスンは毎回バトル
この頃は自身のスキルアップや息子のやることに一緒になって夢中になっていた時期。
自転車で転んでくるぶしを骨折し、しばらく不自由な思いをしたことも。
リトミック、英語、ピアノ、電子オルガン、サッカー、体操、スイミング。
色々な習い事をさせたが、最後に残ったのはピアノと電子オルガンだった。
息子がピアノを辞めずに続けてこられたのはY先生のおかげ。
すぐ集中力がきれる息子に諦めず付き合ってくれて、レッスンは毎回バトルだった。
リトミックから引き続き、クラシックはもちろんポピュラー曲やジャズも指導されるY先生のピアノレッスンを見学させていただき、これまた自身のピアノ指導にかなりのプラスになる。
中学生になった息子は思春期に入り性格が一変。
無気力人間になりピアノもサボるように。
父の死
息子が高1の夏に父が亡くなる。
病気で入院してからわずか一ヶ月で。
居るだけで圧を感じる父の前だけはシャキッとしていた息子だったが、それが無くなったからか、親子ゲンカが多発し始める。
ゲームやネットサーフィンが趣味で夜更かし大好きで、朝起きられず。
遅刻が多くて本人では埒があかなかったのか私が厳重注意を受ける→ダメ親のレッテルを貼られる。
テストの点が悪く、学校から呼び出しをくらう。
とにかく怒りの沸点に達することが多く、全力で息子にぶつかっていってた時期。
思い返せば、私もパワフルだった‥
体調が悪く発熱していた時に怒髪天になった時は、腹が立ちすぎて熱が下がったほど。
そして、相変わらずやる気の見られない息子はとうとうY先生から破門されてしまう・・・
息子の音大進学
しばらくして東京音大の進学を決めた息子は、しれっとY先生の元に戻っていった‥
そして何事もなかったように今でも毎年Y先生の発表会に出演している。
息子は、とにかく私とは考え方、物事の捉え方が全く違う。
よく子育てを通じて親も成長するというが、息子を育てていく中で
私の視野も許容範囲もかなり広がった。
おかけで、どんなタイプの生徒さんでも、どんとこい!状態。
息子は、大学生になると同時に一人暮らしを始め、離れることによってお互い良い距離感が保たれ、落ち着いた関係性になる。
離れて暮らすようになってから穏やかな毎日を過ごせるようになるが、たまに脳の血管がブチギレそうなことはしでかしていた。
その度に自分の許容範囲を押し広げている。
いや〜まだまだだな、自分。
最近〜ピアノ発表会
発表会では、始めのうちは私が選んだクラシックを生徒さんの発表会曲にすることが多かった。
今は多ジャンルの曲が溢れ出し、YouTubeなどで小さいうちから色々な音楽に接している生徒さんが殆どで、弾きたい曲、好みの曲がはっきりしている!
なので、発表会曲は生徒さんの弾きたい曲を最優先している。
好きな曲の練習はモチベーションが全然違う!
クラシックはもちろん、J-POP、KPOP、ジブリ、ディズニー、ジャズ、洋楽、ボカロ、ゲーム音楽、映画音楽、ネット発‥
発表会のプログラムは何でもありあり。
昔から好きだった連弾や2台ピアノ、ミュージックデータと合わせた演奏は毎回取り入れている。
とにかく楽しんでほしい!と思っているので、クイズメドレーを演奏して曲当てクイズをしてプレゼントを出したり、時にはコスプレも笑
社会人になって音楽出版の仕事をする息子は、発表会では欠かせない存在になり、オープニングやエンディングとして毎回2台ピアノや連弾を一緒に演奏。
アイディアもくれるようになり、今ではいないと困る存在に。
去年、発表会は20周年を迎えるが、コロナ禍でYouTube発表会というある意味記念すべき発表会となる。
一度は離れたピアノ。
舞い戻ってピアノを教えてみて思った。
ピアノ指導、お母さん達とのコミュニケーション、生徒さんとのおしゃべり‥大変なこともあるけど楽しい!
天職だと思う。
生徒さんのこと
幼稚園生や保育園生から大人の生徒さんまで幅広い年齢層の生徒さんに通っていただいている。
一人一人性格も特徴も曲の好みも日々のスケジュールも全く違うので、その生徒さんの状況によって課題の量を調整し、練習スケジュールもその都度本人と相談しながら決めている。
中学生高校生の生徒さんは勉強や塾、部活とのバランスに悩むことが多いので、その時その時で
負担がないように比率を変えている。
勉強の仕方をアドバイスすることも。
勉強にも意欲的に取り組んでいて、進学校にいく生徒さんも多い。
学校、テスト、進路、部活、お友達、好きなアーティスト、趣味、恋バナ、ゲーム、悩み事‥
生徒さんとはホントに色々な話をする。
社会人になった生徒さんは彼氏さんを紹介してくれたりして(^^)
大人の方も、好きな曲を仕上げられるよう少しずつ前進し「脳がフル回転している!まさに
脳トレですね〜!楽しいです♫」と自分のペースで練習しています。
生徒さんの話は興味深く逆にいろいろ教わったりしながら、意外な新しい発見があって
こんな一面もあるんだ!じゃあこんなのはどう?と別方面から指導のアプローチを
してみたり、そんな事があったんだ!悔しいね‥と心に寄り添ったり。
気持ちは『第2の母』なので(^^)
レッスン室のドアを開けるなり喋り出す生徒さん、自分からはあまりお話をせず質問に首を縦か横に振って答える生徒さん。
コツコツ練習する生徒さん、練習にムラのある生徒さん、お母さんとバトりつつ練習してくる生徒さん。
いろんなタイプの生徒さんがいるけれど、みんなピアノを音楽を好きでいてくれる。
発表会の時に、発表会10年、15年、20年出場者には表彰状と記念品を渡しているが、毎回
表彰者がいて、長くレッスンに通ってくれる生徒さんが多い。
ピアノを続ける糸は、太くしっかりしている時ばかりではなく、細くなったり、絡んだり、切れそうになったり。
それをまた太くしていくお手伝いができたらいいな!
そしてレッスンをしていると、どんな生徒さんでもちょっとした時に必ず感じることがある。
集中力が続くようになったな
リズムがすぐにわかるようになったな〜あんなに四苦八苦してたのに
音符を読むのが早くなったな
優しい音が出せるようになったな
他にもいっぱい感じるちょっとした成長。
その度に感慨深くなる。
生徒さんの成長の積み重ねを、できれば長く傍らで見守っていきたい。